銀色の宝物

(Mon)

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授業が終わると、一斉に教科書を閉じる音がする。それは代わり映えのしないチャイムの音に彩りを与えようと飛び回るが、けれどそれも空しく、薄く埃の積もった床に落とされる蝶の羽の音だ。どんな色も表現できずに羽を閉じて落ちていく蝶、その羽を閉じる音は教科書の音と同じだ。ばたん。チャイムが鳴り終わってから、私一人だけでもう一度その音を奏でる。蝶は仲間の死骸が降り積もったその上に、やっと羽を閉じて落ちていく。

昼休みの時間になった。

今日の弁当箱はひどく軽い。

教科書もノートも無造作に重ねて、そのまま机に放り込んだ。けれどほとんど間を置かないで、それらを取り出してまた机に置く。今度はきちんとゆっくりと、1冊ずつ表紙を閉じていく。あまりにもゆっくりで、表紙から手を離すまでに、授業の内容を書き留めた文字を全て目で追えた。けれど理解は出来ない。したくなかった。分厚い教科書をまたゆっくりと時間をかけて閉じる間も、その中身に目を通した。けれどその内容は、自分の字よりもっと、理解したくない物だった。私は目を閉じないで、けれど教科書の中身は見ないで、頭では一昨日の授業中のノートの落書きの事を考えた。私の席は一番後ろだ。そこからは教室の全体が見渡せた。授業中はよく、後ろ姿をデッサンした。どう頑張っても授業中は背中しか見えない。教師だけは全体を晒しているけど、黒板の方に頭を向けたくなかった。その理由はあまりにも幼稚だ。勉強をしたくない。教科書を理解したくない。教科書を理解することで、学校の一部にはなりたくない、みんなと同じ考えを一瞬でも共有したくなかった。それをした瞬間にきっと、私はただの蝶になる。何の色も描けないままに羽を閉じて落ちていく蝶。チャイムはそれも気にせず決まった時間に鳴る、そしてみんなはそれに従う、学校はそれに従う。みんなはただの蝶のまま薄汚れた床に落ちても気にしないのだろう。チャイムはいくらでも鳴る、学校がある限り。だから彼らは何度でも教科書を開ける。教科書を閉じることが出来る。床に落ちることが出来る。

けれど私は色を描きたかった。

だから私は勉強をしたくなかった。
私はそのことに、この学校に来てから気がついた。
だから私は、今まで学んできた事をすっきり忘れてしまいたかった。
教科書の事なんて忘れてしまいたかった。


机の中にそれらを収めてから、昼食をとる場所に向かう。仲が良い友達同士が固まって昼食をとる。教室は授業中の冷たい静けさを忘れたように、一体感のないざわめきで満たされていっていた。もうすぐそのうるささも教室一杯になる。
意味のない会話をしながらそれぞれ弁当の包みを開く。けれど私は開かない。それはあまりにも自然で、友人たちは何も言わなかった。多分気付いていないのだろう。彼女たちはおしゃべりに夢中だった。安っぽい色でべったり塗られた共通の話題は私を本当に不安な気持ちにさせた。それは蝶の死骸の標本に塗られた色だ。その標本は偽物です、それには人が作った顔料が塗られているんです、本当の蝶はもっと美しいんです、飛び続けた蝶が振り落とす鱗粉の色は、それはもう宝物のように美しいんです、だからどうかそんな悪質な偽物に惑わされないでください、あなたたちは本当は、本当は。私はそんなことを一人思いながら、彼女たちの話題に加わってはまた離れる。不自然には思われない。羽を閉じた、彼女たちも私も同じ死骸だ。彼女たちが羽を閉じて落ちていく姿は美しかったのだ。私は知っている。顎を引くようにして膝に視線を向ける。そして今度は呟いてみる。あなたたちが羽を閉じて落ちていく姿は美しかった、私は知っています。
けれど彼女たちは色を描けないまま色を塗られてしまった。彼女たちは死んで色を塗られ、また羽ばたく。また色は塗られる。だから彼女たちの薄い羽には幾度も幾度もべったりともたつく顔料が塗られ、それはどんどん重くなる。色が乾いてひび割れて、いつかその偽物の美しさはぱらぱら落ちていく。そして薄汚い床と同じ色になった羽に薄く埃が積もる。私は彼女たちを救いたかった。

けれどそれ以上に、それ以上に私は色を描きたかった。死んでも生き返って、今度こそ、いつか、本当に美しい鱗粉をまき散らして色を描きたかった。

他愛もない会話の中で実に器用に彼女たちは、少なすぎる昼食を食べ終える。そしてチャイムはなっていないのに、別の教室へ行って教科書を開く。色とりどりのペンが詰まった筆入れから目当てのものを掘り出して、黒板に視線を集める。彼女たちは授業以外でも知識をほしがった。教師は授業以外でも知識を与えたがった。だからこの学校は、本当にたくさんの蝶が集まった。そして授業の終わりにはたくさんの蝶が死んだ。それに授業以外でも教科書は開かれ、閉じられ、蝶は死んだ。

授業以外には知識を欲しない者はごく少数で、そのひとたちは昼休み中ずっと教室で会話をするか、グラウンドで体を動かす。私は知識を得に行った人たちが座っていた机をぼんやり眺めながら、やっと弁当の包みを開いた。明らかに軽すぎるそれは、膝においても安定せず、包みのどこかを引っ張って結び目をほどくたびにふわふわと膝から浮いた。蝶のようだと思った。蝶は軽い。

彼女たちの弁当箱よりは大きいふたを開けると、銀色をした玉が2つ入っていた。それはおにぎりを包むアルミホイルにしては軽すぎるし、小さすぎた。ふたを机の上にそっと置いてから、その手で弁当箱を持った。やはり全体でも軽く、それは蝶を掴んでいるような気分にさせた。抵抗はしない、羽も動かさない。もしかしてこの蝶は死んでいるのかもしれない。授業を終えてそのまま死んでしまった蝶が、私の昼食とすり替わってしまったのかもしれない。箱を掴んだまま左右に揺すると、その二つの玉は箱の底をころころと走った。壁にぶつかるとそれは素直に跳ねて、また底に落ちるときは軽い音をたてた。ああそうか。これは蝶ではない。これは蜜だ。この二つの銀色の玉は蝶が吸う蜜だ。銀色の二つの玉は、玉と呼べるほど綺麗な球の形はしていなかった。一方は少し細長く、もう一方は一カ所が変にへこんでいた。それに表面はでこぼこしていて、二つがぶつかるとたまに、互いに引っかかりもした。
けれどこれは蜜だった。今では完全な美しい球で、歪みも傷も無い。それは液体だ。けれど手で触れるとそれは固体のように形を持っていて、きちんと手のひらに球体のまま収まった。表面は艶があった。その艶は、色のついた美しい鱗粉のもとになる。色を描く蝶にとってこの蜜は宝物にも等しい。蜜を吸えば私は色を描く蝶になる。その球は蝶が口吻を差し込むとたちまち液体に変わる。けれど蝶の羽をぬらしてはいけないので、液体になってからまた玉にもどる。それは私の手のひらの上で小さな玉になる。手のひらを軽く揺すると、それらはぶつかり合って、かつん、かつん、と小さな音を立てた。それらは玉に液体に戻って、小さな玉同士が合わさってそれは一つの玉になった。私はその様子を見ながら蜜を吸った。私はそれを想像しながらアルミホイルの塊の玉を口に運んだ。

歯に波が走る。それは脳のどこか、例えば記憶を溜めた泉まで走っていって、それに波を立てる。記憶はこぼれ出す、私は今まで覚えた教科書の内容を全て忘れる。知識を得についさっき教室を出て行った彼女たちを思い出す。けれどその記憶もすぐにこぼれて行ってしまうだろう、その液体はこの教室の薄汚れた床に広がって、彼女たちの羽を塗らす。彼女たちの羽に塗りたくられた色は溶け出す。けれど彼女たちの羽はびしょ濡れだ。もう二度とその羽は空を飛べない。鱗粉ももう全て洗い流されてしまった。けれど彼女たちは知識を求める。私は知識をまたひとつこぼした。アルミホイルをかじり続ける。それは何度も何度も歯に刺激を与えて、それが脳まで伝わる。その刺激は私を自由にさせる刺激だ。勉強は全て忘れる。それがいい、それで私は学校の一部にはならない、あの人たちのようにお決まりの大学には行かない、私は色を描く。みんなが床の上に横たわっている、その上を私は飛ぶ。そして色とりどりの、本当に美しい、ちっとも汚れていない鱗粉を振りまく、それで色を描く。私はアルミホイルにいっそう強く歯を立てた。前歯でそれをちぎり取って奥歯で噛む。さっきよりもっと強い波だ。記憶の泉が揺さぶられる。
私はそのままアルミホイルを飲み込んだ。そしてもう一口、もう一口。私はアルミホイルを食べるのを止めなかった。チャイムが鳴って、彼女たちも教師もグラウンドで運動をしていたひとたちも、教室に入ってくる、彼らの死骸を踏みつけながら。

けれど私はアルミホイルを食べるのを止めなかった。
私はもう一つのそれに手を伸ばした。

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